りん子ってどんな人?

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父は韓国人、母も韓国人の在日韓国人3世

はじめまして!りん子と申します。
京都市出身、1990年生まれです。
私という人間のルーツには少し変わった背景があります。
父が韓国人、母も韓国人の在日韓国人3世として、幼少期からさまざまな文化や言葉が混ざった環境で育ちました。

幼少期と家族の絆

京都市で生まれ育ち、韓国語と日本語が混じった家庭で過ごした日々は、今では私にとってとても貴重なものになりました。
両親は日本語しか話せませんが、祖父母は在日韓国人1世。
母と私が日本語を話している横で、祖母は韓国語を織り交ぜながら話しかけてきます。
そんな風景は私にとっての日常。
韓国語は自然と何となく理解はできたものの、喋れるまでには至らずでした。

幼少期を思い返すと「日本生まれ」の「日本人」のようで、「純粋な日本人ではない」ことに気付いたのは小学校低学年の頃。

なんとなく周りの子達と文化や環境が違うことに疑問を感じ、少しだけ寂しい気持ちになることもありましたが、家族とは充実した日々を送っていました。


音楽と過ごした日々

ピアノとの出会い

私の思い出で欠かせないのは、3歳から始めたピアノです。
寝たきりの祖父、足の不自由な祖母、そして育児との両立にとても大変な中、私のピアノレッスンに付き添うことが母の唯一の息抜きだったそうです。

ヤマハ音楽教室で習い、ピアノを弾くことを通じて絶対音感が身に付きました。
音楽を通じて耳を育て、リズムを感じることができたのは、私にとって大きな財産です。

小学生のある日、友達が毎日弾いていた曲を耳コピで弾けるようになりました。
「なんで弾けるの?」に対して私は「毎日聞いてたら覚えるよ!」と返しました。
絶対音感なんてはその頃は知りもしなかったけど、今思い返せば、私の日常はドレミで溢れていました。

ソナチネぐらいまで行きましたが、先生のお手本をそのまま覚えて弾いてしまう悪いクセ(絶対音感あるある?)がありました。
その所為なのか、あまり楽譜が読めないままどんどん難しくなる楽譜に嫌気が差し、中学生でピアノの世界からは離れてしまいました。


中学生活といじめ

苦しい時期を乗り越えて

女子校に進学した中学時代は、ほとんど楽しい思い出はありませんでした。
私は昔から群れることが苦手で、はっきり物を言う性格。
小学生の頃は分け隔てなく皆んなと仲良く遊んで、喧嘩もたくさんして、その度に仲直りして。
中学ではグループが沢山あり、周りの子と上手く馴染めなかったことから、いじめに遭うことになりました。

物を隠されたり、教科書を破られたり、上履きに画鋲が3本つま先にセロテープで固定されてたり。
そんなドラマみたいな日々が続きましたが、私は決して黙っていませんでした。
自分への悪口を聞いたら、すぐそちらへ向かって言い返すタイプだったので、それはもう火に油(笑)
それでも普通に接してくれる子はいたので、まだ救われたのかな。

結局、卒業式の日には、やっとこの環境から解放される!!と、嬉しい終わりを迎えます。
幼馴染達のいる地元の高校に転校して、ようやく安堵感を感じました。
私立でエスカレーター式なのに母には申し訳なかったですが、それでも今から青春を取り戻すんだ!
と、新たに高校生活を送ります。


韓国留学と異文化体験

自分を見つめ直した1年間

美容系の専門学校に進学し、卒業後はネイリストとなりました。
そして23歳で1年間の韓国留学を決めます。
理由は自分のアイデンティティをしっかりと確立したいという気持ちからでした。

韓国語の基礎を独学で学んでから行ったので、留学先では中級コースからのスタート。
1年ほどでほとんど問題なく、生活できるレベルになりました。
1番の思い出は、お酒ばっかり飲んで遊んでいた事かな(笑)
韓国って本当にお酒文化なんです。
ネイチャーリパブリックでアルバイトもしながら、韓国の文化にどっぷり浸かりました。

外国で自分を見つめ直し、様々な人々と交流を深めることができたこの経験は、よりグローバル思考になり今も私の人生に大きな影響を与えています。


不妊治療と家族の物語

辛い経験を乗り越えて

結婚後、5年間子供に恵まれず不妊治療を始めます。
最初の体外受精では、喜びも束の間、心拍が確認できず深い悲しみに沈みました。
しかしその後、約1年間の心の療養を経て、再び治療を始める決心をしました。

2回目の体外受精では無事に妊娠し、心拍の確認が取れたときは本当に嬉しくて、涙が止まりませんでした。
この経験は、私にとって非常に貴重で、これから母になる気持ちの強さを感じた瞬間でもありました。


母としての成長

娘とともに歩む日々

切迫早産で入院生活を送り、退院後も絶対安静で不安な日々が続きました。
そしてついに娘が生まれてからは、私の人生は一変します。
初めての育児は分からないことだらけで、悩みの連続でしたが、子どもの成長を見守る日々はかけがえのない宝物です。

上手く寝れずに泣いてばかりの娘、抱っこで寝ても降ろすと泣いてしまう。
そんな状況に疲れてしまい寝かしつけの勉強を始めました。
その結果、8ヶ月には寝かしつけゼロ、1人でセルフねんねしてくれるようになり、あんなに寝かしつけに苦労していた心は晴れ模様☀︎
自分時間の確保ができた事で、劇的に気持ちが穏やかになりました。

現在はおうち英語、モンテッソーリについて試行錯誤しながら親子で歩んでいます。
最初は寝かしつけに悩んだり、英語教育をどう進めるか迷ったりしましたが、赤ちゃんの吸収力に驚きの連続です。
親子で楽しく過ごしながら、成長する喜びを感じています。


ブログを始めた理由

娘との日々を残したい

ブログを始めたのは、娘との日々を記録しておきたいと思ったからです。
日常の些細な出来事や小さな幸せ、育児の記録が、娘や私にとっても将来大切な思い出になると信じています。
母子手帳としても、育児ノートとしても、このブログは私の「愛の記録」として育てていくつもりです。


これからの私

成長し続ける日々

私の人生は、まだまだ続いています。
これからも育児や家庭、プライベートに仕事と、バランスを取りながら自分自身を大切にし、成長し続けたいと思っています。

そして、何より娘と一緒に素晴らしい日々を作り上げていきたい。
そう思って、日々を大切に過ごしています。
どんなに小さな幸せでも、それが大きな支えとなり、未来に繋がっていくのだと信じています。

娘が20歳になった時、どんな風に思うかな?
そんな未来を想像しながら、今日も20年の暮らし帳を書いています。

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